やらなきゃいけない事があるときほど関係ないことが捗るあれ
このブログを始めた時はちょうど中間の課題の期限が近かった時なのですが、そういった時間がないときほど、関係ないことが捗ると思います。
例えばテスト前になると突然部屋の片付けを始める。例えば大掃除のときに普段読まないような漫画とか、アルバムとか読んじゃう。例えばネットで調べ事してると気づけば2chのまとめを読んでいる。人によって種類は色いろあると思うのですが、忙しいほど脇道にそれてしまう現象って何なのでしょう?
google先生にお調べ頂いたところ、なんでもあの現象には心理学的用語があるらしいです。その名もセルフ・キャッピング。読んで字のごとく、自らに蓋をしてしまうという意味ですね。
もう少し詳しく説明すると、テスト勉強などをしているときに、掃除をすることにより「掃除していたから成績が悪かった」などという万が一のための逃げ道を作り、自己防衛するという意味があるそうです。
またセルフ・キャッピングにも二種類あるそうで、一つは獲得的セルフ・キャッピング、もう一つは主張的セルフ・キャッピングというそうです。
獲得的セルフ・キャッピングは原因を作る――つまり漫画読んでみたり、掃除してみたり――ことを指します。
主張的セルフ・キャッピングは自分がハンディキャップ――全くテスト勉強してねーわだとか、テストマジ死んだわのようなもの――を周知することによって予防線を貼ることだそうです。
私はとっても心当たりがあります。中学高校時代はテスト毎に勉強やっていない(実際にやっていなかった)を友達に言っていたような気がします。私からしたら勉強しないことがもしかしたら獲得的セルフ・キャッピングだったのかもしれません。ただの怠けかも知れませんが……
セルフ・キャッピングは普通は誰にでも起こりうるものだそうです。だから私だけが悪いんじゃない。
お後がよろしいようで
わたあめって実は日本のお菓子じゃないって話
ここ最近らき☆すた見始めました。ハルヒでも見かけたのですが、夏祭りのシーンではわたあめをたべていました。ちなみに今期(2016年冬アニメ。もしかしたらもう今期じゃないかも)のだがしかしでも、お祭りのシーンではわたあめを食べていました。
お祭りといえばわたあめ!というイメージが固まっているのでしょう。これもまただがしかしで知った話なのですが、わたあめって実は日本のお菓子じゃないそうです。今まで日本のお菓子だと思っていただけに少しショックが大きかったです。
だがしかしによれば、わたあめはアメリカ発祥のお菓子だそうです。実際にアメリカでもちょくちょく(というほどの頻度ではないのですが)見かけます。google先生によれば、18世紀にヨーロッパで食べられていたとか、17世紀のイタリアで、トルコ発祥だよなどなどバラエティ豊かです。またわたあめ機の発祥はロシア、旧ソ連だという話もあるそうです(ソースはだがしかし)
ちなみにわたあめに次ぐお祭りお菓子リンゴ飴も日本発祥ではありません。
お後がよろしいようで
言外をごんがいだと思っていた話
今日友達と話してる時に言外って言う言葉を使いました。言外を「ごんがい」ってその時私は言ったんです。そしたらその人に「ごんがい」じゃなくて「げんがい」なといわれました。
正直驚きました。持ちろんすぐに調べましたよgoogleで、そしたら「ごんがい」なんて読みは少なくとも、広辞苑にも大辞林にものってないそうで、それはそれはもうショックでした。
いままで生きてきて正しい読み方を知らなかったのがそれはもう……なにが悲しいって単純に読み方を間違えていただけでなく、重複を「ちょうふく」って読むか、「じゅうふく」って読むかみたいにメジャーな間違え方じゃなかったことが食なのです。
一つ言い訳をさせてもらえば、いままで ネット以外では言外ではなく、暗にとかそういうのを使っていたから今までに知る機会がなかったんです。
漢字辞典でも国語辞典でもどっちでもいいですが、わざわざ引かなくても意味が字面から理解出来たので引いたことがなかったのです。
アナウンサーの道浦さんが言うには言語道断から類推して「ごん」と読んでしまったのではないかと言っています。もしかしたら私もその口かも知れません。また文字を読んでいるときは意味さえわかればいい、だから読み方は気にしないのだろうとも書かれています。見事に私に突き刺さりました。こうかはばつぐんです。
このポストを書いている時もつい気を抜いてしまうと、「ごんがい」と書いてしまいそうになります。会話で使うとしたらなおさらでしょう。これからしばらくは気をつけて直していかなければ……
お後がよろしいようで
生きる意味とかのはなし
昨日の投稿で生きる意味なんてないていう話に触れたので、少しだけ話しを続けてみたいと思います。
お釈迦様は生きることに意味はないからもっと肩の力抜こうといいました。生きる意味はないから死のうって言ったわけじゃないんです。私の言ったことも似たようなもので無駄って言わないで欲しいっていただけです。(厨二的発言に対する言い訳)
人生においてみんなに共通した一つの目標ってないと思うんです。確かに他の動物には、種の存続っていう目標があるかもしれませんけど、意識してそれを行ってるかはわかりません。
じゃあ人生の目標って何でしょう?一つはとりあえず生きることではないでしょうか?とりあえず具体的なことは避けて後回し。高校の文系理系も、文系のほうが得意だからとか理系のほうが就職有利そうだからと後回し。私だってそうでした。
「人生なんて無駄だ」と思って自殺してしまう人はおそらくとっても真面目な人なのでしょう。だから後回しとかそういうことができなかったのかもしれません。
閑話休題
そうやって後回しにした後たどり着くのが幸せな家庭をもつとか、いい会社に就職するとか、お金持ちになる、ネトゲでランカーになる、アニメを極める、CLANNADは人生。気づけば何かしら熱中できるものとか好きな物、人がいたりする。そうやって目標を見つけていくのでは無いでしょうか?
人間って生まれた瞬間から行き着くのは死だと思うんです。目標ではなくても最後は決まっています。紆余曲折あろうと最後は死んじゃいます。
だから生きてる間は自分の思い描く幸せを求めてもいいんじゃないでしょうか?
だから私は今はアニメを見ます。その後のつぶしが効くように勉強も少しします。それに科目によっては厨二心がくすぐられますし、特に理系科目
結局また厨二病っぽくなってしまいましたが、お後がよろしいようで
追記
予約投稿間違えたと思って取り下げましたが間違えてなかったので再投稿します
4/3/16 10時13分
無駄とかいう意味の分からない言葉
アニメを見てるとたまに「そんな無駄なことしてないで、もっと勉強とか本読むとかしろよ。」とありがたいご高説を垂れてくる親切なウザイ方がいます。
確かに勉強をすることも本読むことも大事なことかもしれません。多分、おそらく、きっと、もしかすると私にいろんなメリットが有るでしょう。
ただ言いたいのはアニメを見ることって無駄なことなのでしょうか?
今の時代アニメって割りとポピュラーなものになっていますし、コミュニケーションツールの一つになりえます。それにアニメっていろんなジャンルがあるので、何か一つのことを書くときでも活用しやすいです。実際私はエッセイとか書くときに使っています。
さて私が言いたかったのはアニメ擁護ではないです。脇道にそれてしまいましたが、本題に入りましょう。
無駄ってなんなんでしょう?
- [名・形動]
- 1 役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益。「―な金を使う」「時間を―にする」
- 2 「」に同じ。
- 「しゃれも―もいっかう言はず」〈滑・膝栗毛・初〉
- [補説]「無駄」は当て字。
なんでも東海道中膝栗毛で初めて使われた言葉だそうです。
さて、goo国語辞典によりますと、役に立たないことだとか、無益なことだそうです。
そうですねまさしく無駄です。
使いもしない新しスマホカバーを買ったり、読まないけどタイトルに惹かれて本を買ったり、使いもしない健康食品を買う。なるほど無駄でしょう(もちろん使うなら無駄じゃないです。)
しかし私が言いたいのは何が無駄だ、とか無駄じゃないだとかそんな話ではありません。そもそもこの世界に無駄なんて言葉があっていいのでしょうか?
お釈迦様はいいました、人はいつか死ぬんだから人生は無意味だと。要するに人生は無駄なのです。つまり、人生の中で行うすべてのことは無駄でしかないのです。
たとえノーベル賞をとっても死ねば関係ありません。たとえいい会社に就職してもいつかは死にます。たとえブログを書いてもなんにもなりません。少し厨二病っぽくなってしまいました。
それでも人は生きてます、何かしら目的を見つけて何かをしています。それを無駄と切り捨てることって、存在の否定にちかいのではないでしょうか?
だからアニメを見ている私に無駄なんて言わず、そっとしておいてください。
お後がよろしいようで。
エンドレスエイトという名の拷問
女子高生アニメとかいうよくわからない呼び方 - 日々の糧となりたもうことなかれ でも書いたとおり最近涼宮ハルヒの憂鬱を見ています。その中にエンドレスエイトという地獄のような話集?がありました。
ストーリー的にはお盆から8月31日を何度も繰り返し続ける(記憶はリセットされる)という話です。アイディア的にはとても面白いと思ったのですが、見るのがとっても辛かったです。何が辛いってほとんどセリフもストーリーも同じ話が8回も放送されるんです。4回目が終わる頃にはいつ終わるんだいつ終わるんだと思いながら見ていました。まさか本当にエンドレス何じゃないかと疑った程です。
当時のブログやら、2chやらを見て見る限りその時の視聴者も、私と同じようなことを思いながら見ていたらしいです。この拷問はなかなか視聴者に打撃を与えたらしく、DVDの売上が放送前と放送後で約2万枚減ったら見たいです。pixivでは地獄として紹介されています。それでもすごいです。2万枚減ってなお2万〜1.5万枚の売上がハルヒブランドの強さを伺わせます。
毎回少し変わったシーンがあると「お、おわるか?」なんて期待するのですが、そんな期待はむしろ奇胎に変わってしまいます。そのうち諦めがついて只のBGM、またはラジオ的な何かとして聞き流すという状況でした。確かに毎回作画は違いますし、探せば細かい違いはいっぱいあるのでしょうけど、間違い探しがしたいなら素直に間違い探しをします。
確かに夏休みは終わってほしくないですが、リア充夏休みを延々と見させられ続ける苦痛とは底しれないものです。
お後がよろしいようで
日本語におけるfuck
たまには英語の記事でも書いてみようと思います。
英語で罵倒するときの言葉としてfuck以上に日本で知られているものはないと思います。単純に「Fuck」、相手の向かっていう時に「Fuck you」、うるさい奴に「Shat the fuck up」、とりあえず「Fuck」。いろんな時にFuckは使われます。
そんな言葉ですが、日本語に訳そうとするとなかなかに難しい。もちろんただの単語としては「性交する」という動詞になるのですが、ニュアンス的にはなんだか違うような気がするのです。
例えば「Fuck you」を直訳すると「セックスしろ」になるのですが、日本語的に言えばどちらかというと「死ね」に近いような気がします。この場合単純な直訳よりも罵倒語として使われているので、ニュアンスが変わっているのでしょう。
日本語ではなかなか起こり得ない現象だと思います。
例えば「Your shoes are fucking cool」なんていうと「お前の靴マジでかっこいい」と言った感じになります。今度は強調語として使われています。
日本語でも「クソかっこいい」などと言った感じになるのと同じようなものです。
「shut the fuck up」なんかもこれと同じで強調として使われているのでしょう。
こんなThe・スラングと言ってもいいような言葉ですが、実際に使う際はなかなか注意が必要です。アメリカでは最も下品な言葉とされています。
暗喩的にこの言葉を指すときはF-wardだとかF-bomb、Fudgeなんて言い回しになります。
上の3つは名詞としてですが、形容詞(詰まりFucking)はEffing、Freakingなんかになります。
そして動詞的な使い方だとScrewになります。
私も完璧にすべての言い方を知っているわけではないので、もしかしたら他にもあるかもしれません。
お後がよろしいようで