止まると……
一度日常化していたものが止まってしまうとそれは、すぐに日常ではなくなってしまうようです。このブログを始めたころは予約投稿などを使ってはいましたが、更新事態は毎日続いていました。しかし一度それをやめてしまいますと、楽な方へ楽な方へと流れてしまいブログを書かなくなっていきました。
水は高いほうから低い方へ流れます。電気だって抵抗の弱いほうへ流れ込みます。きっと人間も同じなのでしょう。しかし人は水を使うためにわざわざ、水の場所を固定します。電気だって抵抗の弱いほうへ流れ続ければショートしてしまいます。私も頑張ってブログを書き続けることを継続しなければいけません。しなければいけないというよりしたいです。
前までは変に格好つけて1記事最低500文字はとか思っていましたが、そんなことはもう関係ありません。書いて更新するのが最優先です。閲覧数増えそうかだなんて関係ありません。好きなことを書きます。読者? 一番の読者は私です。私の読みたいことを書いていたら、きっと私と似たような人(居ないほうが日本の為かも)が集まってくるかもしれません。だから私は私のために書きましょう。
For Fuck Sakeもうこれわかんねぇな
お後なんてよろしくありません。
継続の力
気づけば大学の期末も終わり、日本に帰ってきてしまっていました。自分で決めていたブログの更新はサボり、Duolingoでのドイツ語もやっていませんでした。とんでもない怠惰ですね。
そこで先ほど少し、ドイツ語の編集をしてみたのですが。全く理解できなくなっていました。一月以上やらなければ分からなくなってしまうのも当たり前でしょう。英語で言う「I am a men」だとか「it is an apple」とかそのレベルすら分からなかったです。
継続の大切さを思い知りました。例えば日本語なんて一年使わなくてもペラペラ喋れます。英語も、一年間全く勉強しなくても全くできなくなってしまうわけではないです。日本語はもちろん生まれてからずっと。英語も六年間以上継続して、勉強していた時期があります。継続することで、知識の定着率が変わりますね。昔からよく言われてきたことですが、初めて身を持って痛感しました。
知識は時間を重ねるに連れて経験となって、身体に、記憶へと植え付けられていき、忘れることのないスキルへと変わっていくのでしょう。
アメリカとアニメと
最近さぼり気味になっているブログですが、言い訳をさせてもらいますと学期末が近いです。
たまにアメリカの大学でポケモングッツを身に着けていたり、ポケモンをプレイしている人を見かけます。例えばピカチュウの絵が描かれたリュックサックを持っていたり、ピカチュウ柄のシャツを着ていたり。ポケモン好きとしてはうれしい限りです。
以前大学で留学生と地元小学生が交流する機会がありました。そこで日本の文化について説明することになったのですが、その一部にアニメを入れることになりました。
私はアニメ内での日常シーンの絡めて、日本の日常を説明するという案を出したのですが無視されました。実際にプレゼンすることになった内容は問いますと、ナルトのちょっとしたストーリーについて。突然知りもしないアニメの話をされて誰が喜ぶのでしょうか?
また愚痴が始まってしまうので閑話休題。
実際に小学生を相手にしてみますと、ナルトを知っている人は結構な少数派でした。すると今度は突然ポケモンの紹介にシフトしようと言い出しました。細かく話すといろいろあったのですが、結論を言うとポケモンの知名度はなかなか高かったです。ポケモンXYのアニメを見せてみたのですが、なんと彼らオープニングを歌っていました。それぐらいには一般的だということでしょう。
大学にもアニメクラブ的なものがあるらしいのですが、ナルトとかドラゴンボールだとかのメジャーなもの以外に、深夜アニメも見ているらしいです。なかなか侮りがたし。ほとんどの人は私なんか比にならないレベルのアニオタでした。
とはいうものの、アメリカ人全員が全員アニオタというわけもなく、日本と同じくらいにはマイノリティーなように感じます。
お後がよろしいようで
主人公と私
最近友人と主人公って何か?という話をしました。そこで出てきたことなのですが、主人公は私達が感情移入できるように、私たちに近い普通の人に設定することがあるそうです。
例えばハリーポッター。偶然ヴォルデモート卿を倒しましたが、彼自身は平均的な生徒です。例えばホビットの冒険のホビット。彼も最初は臆病な普通の人?でした。今期のアニメ、Re:ゼロから始める異世界生活の主人公スバルは、普通どころかヒキニートです。いろんなキャラクターが感情移入しやすいように設定されています。それもそのはず感情移入してもらえればそれだけ、読者が作品にのめり込んでくれるのですから。あるあるネタが面白いのと同じ理由ですね。
ですが一つ言いたいことがあるのです。ハリーは勇気があります。ホビットも、スバルも。みんな勇気があるのです。一方私はどうでしょう?私はどちらかと言うと臆病な方でしょう。もし自分の命が稀代の大魔法使いに狙われたならば、直ちに軍門に下るでしょう。私がホビットだったらそもそも物語は始まりません。私がスバルだったら、死に戻りした時点(死に戻りしていると気づいた時点)で何もなかったことにします。できるだけ平穏に何事も無く、冒険心はなく生きていきます。みんな私と違って勇気だとか、使命感だとかに溢れているのです。だから肝心なシーンに限って感情移入ができないわけです。
特に何が書きたいとかではないのでが、今回言いたかったことは言うほど物語って感情移入できるものじゃないと思うのです。
お後がよろしいようで
斜めに構えてしまう癖
今に始まったことじゃないのですが、基本的に物事を批判的に見てしまう癖があります。
例えば政治家のマニュフェストで「国民の給料増額を目指す」なんて言っているのを見ると、どうせ票取りのための発言でやらないんだろうな。言うだけなら私にだって言える。なんて言うふうに思ってしまいます。
最近私の友人が、何かを否定するのは無知だからという事を言っていたのですが、ソクラテス曰く無知の知ることが大事だから、無知自体は何も悪く無いし、その分野に精通していて批判する人だっていっぱい居る。そういうレッテル貼りは良くないと思う、とまくし立てて、暗にレッテル貼りするお前最低、みたいなことを言いました。
その友達とは仲がよくてお互いの性格をある程度知っているので、特に何もなく終わりましたが、初対面の人やそこまで親しくない人にやってしまうときっと関係は一気に悪化してしまうでしょう。
もともと私は謙虚()で素直()な人間なので、思ったことがすぐに口に出てしまいます。ほかの友達が言うには、私は真顔で毒を吐いている(私には自覚が無いです)なので、冗談っぽくもならないそうです。
なんというか、私は天邪鬼な性格で一般的に良いとされている物とか行動にいちゃもんを付けたくなってしまうのです。そこから斜めに構える癖ができてしまったのでしょう。私はもう少し自分を律する力が必要なのかもしれません。そのためのブログ
お後がよろしいようで
アメリカに来てから日本の素晴らしさを再確認した話
アメリカ留学での一番の失敗にも書いたのですが、アメリカ留学してます。アメリカに来てから2セメスター(約8ヶ月)目。今セメスターも終わりが近づいてきました。
私の留学先はアメリカと聞いて、さっと思いつくようなニューヨークとか、サンフランシスコとか、ボストンみたいに有名な街、都会じゃないです。糞がつくほど田舎です。ペンギン村のほうがまだマシに違いないです。
さて前置きが長くなりましたが本題に移りましょう。私はアメリカに来る前から、日本大好きな人だったのですが、アメリカに来てからその傾向が強くなったように思います。
まず日本の食事って本当に美味しいです。それもその美味しいご飯がそんなに高くないんですから素晴らしいです。アメリカ人のマック好きな理由を垣間見た気がします。アメリカで食べられて(美味しいという形容詞は使いたくない)安いもの(そこまで安くない)っていうとファーストフードになってしまうんだと思います。
次に日本の田舎って言うほど田舎じゃないです。車を30分くらい走らせればコンビニがありますし、もう少し足を伸ばせばどこにでもショッピングモールがあります。アメリカにはコンビニは、大都市にしかありませんし、おにぎりも置いてません。ショッピングモールはありますが、どこにでもあるわけじゃありません。
あと交通の便がすごい良いです。いままで私の居る街で、スクールバス以外のバスを見たことがありません。電車ももちろん大都会(それこそシカゴとかニューヨークとか)でしか見たことありませんし、その電車もなんか汚くて犯罪の温床って感じです。
日本にいた頃は交通の便がそこまでいいと思いませんでしたし、田舎は本当に田舎だと思っていました。アメリカは先進国という割に未だに国内に発展途上国(とまで言ったら言いすぎかもしれませんが……)を抱えているのかと思うレベルで、すさまじい田舎があります。昔は田舎か、都会なら都会のほうが良いと思っていた人なのですが、今なら日本ならどこでもと答えられます。
お後がよろしいようで
サボることとその心境
ここ数日、ドイツ語の勉強は愚か、ブログの更新すらサボっていました。私の中での目標として、毎日更新(書き貯めでもいいから)するというのがあったのですが、一ヶ月も経つ前に失敗となりました。これからはしっかり書き貯めしましょうまる
さてサボるとってやっぱり楽なんですよね。自分から進んでブログを書き始めたもののやっぱり毎日続けるっていうのは、何を書くかとかトピックを決めるところも含めて、難しいところがあり続けるのはなかなか辛いところがあります。
サボってる間は楽ですし、その時間を宿題、アニメ、ゲーム、睡眠だとかいろいろな時間に回せます。回せると言っても誤差に等しいような数十分なのですが……やるかやらないかだと、やらないという選択の方が圧倒的に楽で甘美なものです。
しかしサボるということは私の心に少しずつ罪悪感を供給していきます。毎日更新するって決めてたのに、せっかく今まで続けてきたのに、何時間もかかるような大作業じゃないのに、といろいろな言葉が自分自身を攻めます。マゾかな?
マゾじゃないです。だから重い腰を上げて数日ぶりにブログと向き合ってみたわけです。正直に言うと今書いたコレも気まぐれのようにブログ管理ページのタブを開いたから書いたのであって、本当は書くつもりはなかったのです。
サボることは簡単ですし、悪魔の囁きのようにもういいだろ? 十分頑張ったと囁きかけてきます。それも毎日です。それに打ち勝って更新し続けることにきっと何か意味があるのでしょう。だから明日はきっと更新します。なんだかまた言い訳がましいポストになってしまいました。
お後がよろしいようで